ヒカリ




  『ヒカリ』

 目が覚めた時、辺りは暗くて心細くて一人で怯えた。
 知らない場所、知らない暗い部屋。何故自分がここにいるのかもよく分からず 、無性に不安になる。
「…ガイ」
 少し年上の、使用人の名を呼んでみる。返事は無い。姿も。部屋には自分以外 の人間がいるようには思えず、心細くて堪らなくなる。
 どうして自分はこんな所にいるんだろう。ガイは、どこにいるんだろう。
 心細くて泣きそうになる。くすんと鼻を鳴らすと丁度、部屋のドアが開いて光 が差す。それまで部屋は本当に暗く、ドアがあることすら分からなかったのだ。 逆光で人影が見えるが、誰かは分からない。そうであって欲しいと無意識で、思 わずルークは名を叫んだ。
「ガイっ!!」
 けれど人影は見知った使用人などではなく、軽い嘲笑が返る。
「残念ながら、ガイラルディアはファブレ家でルークの子守をしているだろう」
 低い、落ち着いた大人の声は勿論ガイではない。
「ヴァン…師匠………」
 部屋の明かりをつけて姿を表した人物が自分の剣術の師である事に、軽く息を 付く。知っている人物に安堵するが、言われた意味がよく分からない。
 自分は、ここにいるのに。
「僕は、ここにいます」
「けれど、お前はもうルークではない」
 普段とは違った声音に、背筋がぞっとする。言いようの無い不安が身体中を駆 け巡る。
「どういう…意味ですか」
 声が震えているのが自分でも分かった。ルーク・フォン・ファブレ。自分は、 その者であったはずなのに。それ以外を疑った事も、否定されたことも俄かには 理解し難い。
「そのままの意味だ。ルークとしての人生を、お前に課しはしない。この、馬鹿 げた世界を正す為にはお前の力が必要だ」
 分からない。
 何も分からず、呆然としている子供の手をヴァンは取った。
「共に世界を変えよう、アッシュ」
 小さな子供にその大きな手を、振り解こう事など到底出来はしなかった。



 目が覚めた時、辺りは光に満ちて眩しかった。
 瞬きをする。眩しい。ちかちかと光が目に刺さる。
「ああ、起きたのか」
 部屋のカーテンを開けていたガイが、目覚めたルークの気配にベッドに近付く 。何も知らない、何も分からない小さな子を、起こす手助けをしてやる。
 上半身を起こしてやるが、重心も定まらずルークは身体が傾いで倒れそうにな る。
「お…っと………」
 ベッドの上なので倒れても怪我はしないが、ガイは腕でルークを抱き止めた。
「まいったな…座るのも困難なのか」
 言葉どおり、渋い顔をするガイを腕の中からルークはじっと見上げる。
「ん? どうかしたか、ルーク」
「…ルー……?」
 近くで動く口を真似て、声を出す。ぱちりぱちりと翡翠のような瞳が興味深そ うに瞬いて、言葉をねだる。ガイは、ルークが自分の名前すら言えない事を今更 ながら理解して眉を寄せる。それは、憐憫に似た情でもあった。  誘拐されて、それまでの記憶全てが失われた、可哀想な子供。記憶喪失に付い ては、ガイもその辛さは知らないわけじゃない。
 ガイは優しい声音で幼子の名を呼んだ。
「ルーク。言ってごらん。お前の名前だよ、ルーク」
「ルー…ク」
 それでいいと、頷くガイにルークはぱっと笑顔になる。ガイを指差し、『ルー ク』と自分の名を繰り返した。自分の名だと認識はしていないルークに、ガイは 微かに苦く笑う。
「俺の名前はガイ。ルークはお前だよ」
「ガ、イ?」
 憶えたての名前を、ルークは嬉しそうに何度も呼ぶ。ふと、窓に向けた視線が 外の景色で留まった。
 風に揺れる葉々、囀る小鳥、太陽の光――――――――――
 ルークの視線を追って、ガイは抱き締めるようにそっと、歩けない子供の背に 腕を回した。
「外に、出てみるか」
 ベッドの上から抱き上げて、部屋のドアを開ける。中庭には色取り取りの花や 、その花にひらりと舞う蝶も見えた。
 けれどそれらよりも外の眩しさにルークはぎゅっと目を瞑り、ガイの肩口に顔 を埋めた。本来面倒見のよいガイなので、笑ってぽんぽんとルークの背を叩いて やる。
「怖くないよルーク。ほら、太陽って暖かいだろう?」
 穏やかに言うガイに、恐る恐る顔を上げる。光に慣れたルークの目に何もかも が初めての、外の風景が飛び込んでくる。
 空は青い。どこまでも高くある空に顔を上げる。丸く強く光る物を見て、ルー クは咄嗟に目逸らし瞼を擦った。
「なんだ、太陽を見ちまったのか」
 からからとガイは笑う。
 ルークは目がしばしばする。再び瞼を開いて、眼に入ったのはキラキラと光る ガイの金髪だった。本能のまま手を延ばし、触れてみる。引っ張る。
「…ったた、こら、ルーク」
 軽く嗜めるが、ルークは聞かない。わしゃわしゃと弄られるまま、禿げたらど うしてくれると苦労性なガイに呟かせる。暫くそうした後、ルークを抱えたまま ガイは庭を回った。
これから先、当分は屋敷と庭だけがルークの小さな世界になる。
 生まれたてのルークはそれだけでもう疲れてしまい、やがてことりと頭をガイ の肩に預ける。温かい。満たされたような安心した様子で、すうっと寝息を立て る。
 目が覚めて憶えたのは、自分の名前と、ガイと、外の暖かな場所―陽だまり― 。
 ガイはすやすや眠るルークを複雑な表情で見、起こさないよう抱き直し小さな 主人の部屋へと踵を返した。


 光を奪われたアッシュと、光を与えられたルーク。

 二人が出会うのは、これから七年後になる。